映画鑑賞記「沈黙」

公開日 2017年01月30日

遠藤周作の代表作の、マーティン・スコセッシによる完全映画化だ。

神は何故沈黙していたのか。

日本で拷問を受け、棄教した恩師フェレイラを探しにロドリゴとガルペという2人の司祭が日本に密航する。
彼らは日本にいる最後の司祭となる。彼らを守るため、また幕府にとっては最後の司祭である彼らに棄教させるための駒として、信者たちが拷問を受け残酷な方法で殺されていく。ロドリゴは彼らの生を願い祈るが、その祈りに神は応えない

フィルムで撮影されたせいもあるのか、空気感のある映像が、拷問や火炙りなどの残酷なシーンを生々しさではなく、その意味を考えさせる場面にし、厳しい内容ながら、後味の悪さは全くなく、ゆっくりと心に沈んでくる作品だ。

人種、信仰の多様性が守られることに危うさを感じる今の時代だからこそ、献身的な布教に対する迫害、という面ではなく、その布教の傲慢さも伝わってくる。「日本という沼地ではあなたたちの木の根は育たない」。それぞれの土地にそれぞれの生き方があるものではないか。

そしてまた、彼の神だけが、神ではない。

神とは誰にとっても「いつもここにいる」存在なのだ。

神は 願いを聞き届けるものではない。沈黙していたのではなく、常に寄り添い、苦しみを共にしてくれる存在で、それはさまざまな宗教の違いを超えたものではないだろうか。

そして、信仰とは、外側の形を失おうと、その姿を変えようとも、誰にも脅かされない一人ひとりの心の中に確固としてあるもの。が、それに迷いなく進めむことができるのは、信仰と人の強さなのだと、キチジローに教えられる。

日本人は、寺に手を合わせ、神社に手を合わせ、現世での利益にすがろうとする傾向が強い。それは誰もが感じていることであると思うが、信仰とは果たしてそういうものなのだろうか?

私は信仰がないので、こう思う。
が、信仰のある方がこの作品をどう思うのか、是非聞いてみたいところだ。

ところで それにしても、 ジェダイマスターたるリーアム・ニーソンの存在感は大きい! それに加え、惜しくもオスカーノミネートは逃したけれど、イッセイ尾形、それから窪塚洋介をはじめとする日本人俳優陣の存在感は、素晴らしかった。

2017年1月22日鑑賞 by K.T.

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