映画鑑賞記「女は二度決断する」

公開日 2018年04月25日

女は二度決断する

監督ファティ・アキン 
原題 Aus dem Nichts
製作年 2017年
製作国 ドイツ
配給 ビターズ・エンド
 

薬物取引で服役中のトルコ系移民である夫と結婚したカティヤは彼女自身も薬物の常習者であっただろうが、今は、夫婦ともに薬物とは手を切り、6歳になる息子と幸せな家庭を築いている。
現在は、夫はトルコ人街で移民たちの相談にのる仕事をしているが、そこにネオナチが無差別爆弾テロを仕掛け、夫と息子が犠牲者に。
犯人は捕まったものの、裁判の結果は無罪。それを受けて彼女がした決断とは・・・

 

納得がいかない結末となる裁判がある映画というと、「評決のとき」が思い出される。あれは人種差別がテーマとなっていたが、本作も、ネオナチによる移民へのテロとして、現在のヨーロッパでの偏見や差別が下敷きにある。 しかし、本作の中心となるのは、家族を意味なく殺されてしまった母(妻)の心だ。

ストーリーは、これでもか、というほど、残されたカティヤの心を責め、絞めつけてくる。 観客である私たちは、カティヤの視点から、不気味なほどに感情が表れない犯人に怒り、協力する極右組織に怒り、これほど残虐なことをしている犯人を守る被告人の弁護士に怒り、評決に怒る。 そして、カティヤの行動に、そうするしかない、と引っ張られる。

しかし、怒りに揺さぶられているそのとき、それが今世界で起こっている憎しみの連鎖なのだと、はっと気づかされる。被害者ではなく加害者となる気持ちの動きを感じさせられたことに気付くのだ。

けれど、そのあとの、カティヤの決断は、受け取り方が様々だろう。

家族が殺された、ということで引き合いにだされる「スリー・ビルボード」は、母親は最後に自分自身を赦した、と私は思っている。本作では、カティヤはそれができず、こう決断するしかなかったのだ。 そうするしかなかった、という哀しさに私は共感し、同調し、胸が絞めつけられた。

映画の邦題は、なかなか難しいのだが、「女は二度決断する」というタイトルは、原題よりもこの作品に合っていると思う。

あなたは、彼女の最後の決断を受け入れることができるだろうか。

2018.4.17鑑賞 by K.T