公開日 2018年12月22日
長く部屋に引きこもっていた鈴木家の長男・浩一はある日自室で命を絶ってしまう。これが冒頭の場面だ。
それを目にした母親はショックで気を失い、意識は浩一の四十九日まで戻らない。もうこのままか、と家族が諦めかけた時に母は目を覚ますが、浩一の死の記憶が抜けていた。
妹の富美は母のショックを考えてとっさに「お兄ちゃんはひきこもりをやめてアルゼンチンに行った」と嘘をつく。ここから、浩一は生きていると母に思わせるために、家族皆が奮闘することになる。
その嘘はいつまで続くのか・・・
家族のひきこもり、家族の自死、両方とも、表現も内容も、軽々しく扱うことはできない難しいテーマだ。
浩一の苦悩について、残された家族の喪失について、どう表現しているのか鑑賞前は気になっていたのだが、表面的ではない、説得力のあるものだった。
実は、これは監督(脚本も)の体験だと知ったのは鑑賞後で、ああ、だからなのだ、と納得した。そうでないと描けないことが確かにあった。
内閣府の調査では、「ひきこもり」とされる人が2015年現在で50万人いるらしい。
「ひきこもり」と一言でくくるのはあまりにも乱暴で、その理由は百人百様であろうし、そこから抜け出ようにも出られないつらさを抱えているに違いない。
他人のよかれと思っているアドバイスはもちろん(実はこれは一番迷惑)、本当に愛している家族の言葉ですら届かない。
そして、言葉も気持ちも伝わらないと感じる家族もつらい。
「おれはまだ大丈夫、まだ大丈夫」と言い続ける浩一の姿と、なすすべもなく見つめる父親の姿が忘れられない。
自死という選択をせざるを得なかった浩一はもちろん抱えきれない苦悩があったのだろうけど、遺されてしまった家族は・・・・
アメリカの精神科医による「喪失の五段階」というものがある。