映画鑑賞記「家族を想うとき」

公開日 2019年12月28日

家族を想うとき

監督:ケン・ローチ
製作:2019年/イギリス・フランス・ベルギー合作
原題:Sorry We Missed You

思春期の息子と小学生の娘、そしてパートタイムの介護福祉士の妻を持つリッキーは、マイホームを手に入れるために、フランチャイズの宅配ドライバーとなる。しかし、個人事業主として、荷物を運べば運ぶだけ収入になると言われたこの仕事は、実は時間と自由を奪われ、ただ搾取されているに過ぎない。
また、リッキーの配達用バンを買うために、妻のアビーは、被介護者の家から家を移動するのに必要だった仕事用の車を手放さざるを得なかった。交通費も時間外手当も出ないというのに。
そして、厳しい条件の中で働かなければならない二人は、大切に思っている子どもたちと過ごす時間が持てなくなっていき、高校生の息子は学校でトラブルを起こすようになり、家庭が崩れようとしていく・・・

本作は、イギリスの労働者の実態を描いた作品ではあるが、「よその国のこと」ではない。ギグエコノミーといわれるものは国境を超えるグローバルな労働環境でもあるのだからそれも当たり前なのかもしれないが、ひとつひとつのエピソードが、あまりにも身近でつらい。

日本でも、個人事業主とされながら、休業日の設定も制限されるコンビニオーナーの話や、ギグエコノミーの代名詞のようなウーバーイーツの配達員が組合を作ったという話がニュースになっている。企業が効率化を優先して利益を追求し、また、消費者は便利さを追求する。安さと便利さを求める消費者の要求に応え、さらに企業が効率化を進める、それが本作のような状況を促しているのだ。私たちは自分たちで自分たちの首を絞めているに等しい。

いったい私たちはなんのために働くのか。家族のために働くことが家族を壊すのだとすれば、労働にはどんな意味があるというのだろう?いったい誰が幸せになるというのだろう?

2人のローマ教皇」という映画の中で、現教皇のフランシスコ1世が「だれにも責任がないというならば、私たちすべてに責任がある」というセリフを言う。その作品では、移民問題を指しているのだけれど、様々な問題を「自己責任」という言葉で片づけようとする今の社会には、その責任は当事者と思われる人々ではなく私たちすべてにあるのだと、本作ではさらに強く思わされる。その安価で便利なサービスは本当に必要なのだろうか?誰の犠牲の上に成り立っているのだろうか?私たちは振り返って考えたことがどのくらいあるのだろうか?

年の最後には、楽しい映画で締めくくりたい気持ちもあったけれど、これは私たちがちゃんと向き合わなければならない問題だ。前作「私はダニエル・ブレイク」同様、正しく生きようとする人が生きられない世の中であってはならないと、年の最後にケン・ローチにそう諭された。

2019年、私のつたない感想を読んでくださり、ありがとうございました。2020年は、明るく楽しい作品が多く出る社会でありますように!

2019年12月15日鑑賞 by K.T