公開日 2020年08月01日
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仕事場がある三鷹駅周辺から少し離れた場所に住居を構えていた太宰治。住居前に植えられていた百日紅(さるすべり)は、1983(昭和58)年に建設された「みたか井心亭(せいしんてい)」の中庭に一旦移植され、その後、同敷地内の平和通りに面した庭に移されました。こうして、太宰を偲んで訪れる方々の目にも触れられるようになりました。
▲禅林寺の前で、こやじぃこと小谷野芳文さん
▲みたか井心亭の百日紅の花。平和通り側から見たところ
太宰の作品には自宅や仕事場、三鷹の風景がよく登場します。登場人物にまるで自身を重ねるかのような場面もあり、亡くなる前の太宰の心情が読み取れる気がします。
この百日紅が登場する作品「おさん」の結末では、登場人物が自ら命を絶ってしまいます。それから、いくつかの作品を残した後、太宰もこの「おさん」の登場人物と同じように、山崎富榮(やまざき とみえ)とともに人生に終止符を打ちました。
玉川上水の入水(じゅすい)場所から少し下ると「松本訓導殉難碑」があります。松本虎雄(訓導は現在の小学校教師)もまた、玉川上水で命を落とした一人です。この碑についても、作品「乞食学生」に書かれており、玉川上水を「人喰い川」とも表しています。
さらに、そこから下った新橋付近で、奇しくも太宰の誕生日である6月19日に、二人は遺体で見つかりました。
▲二人の遺体が見つかった玉川上水にかかる新橋
作品「花吹雪」からわかるように、生前、太宰は豪傑な森鷗外(林太郎)に憧れていました。太宰は、散歩コースの途中にあった禅林寺によく立ち寄り、鴎外の墓を拝んでいたそうです。
作中に「私の汚い骨でも、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」と書き、禅林寺に眠ることを希望していた太宰。太宰の死後、妻がそのことを禅林寺の住職に相談したところ、太宰の念願が叶い、鴎外の斜め向かいに墓が建立されたのでした。
▲森鷗外や太宰治の墓地がある禅林寺
三鷹市ホームページ「太宰が生きたまち・三鷹」 https://www.city.mitaka.lg.jp/dazai/index.html
みたか井心亭 https://mitaka-sportsandculture.or.jp/seishin/
企画・撮影・編集:みたか都市観光協会
協力:みたか観光ガイド協会 https://mitakaguide.p-kit.com/
出演:小谷野 芳文(みたか観光ガイド協会)
楽曲:modus Kyaai