公開日 2021年05月24日
原題:The Father
製作:2020年 イギリス・フランス合作/97分
監督:フロリアン・ゼレール
認知症の父親と娘の物語だ。認知症が進行し、記憶や時間軸がどんどんあいまいになっているが、本人は何の問題もないと思い込んでおり介護人を頑なに拒否する。そんな父親に、娘は振り回される。彼らの行きつくところは・・・
認知症患者の変化と、周囲の人の困惑や苦労はこれまでもしばしば映画になっていた。本作が違うのは、振り回される側(家族)としての視点、認知症の本人を外側から見るという視点だけではなく、むしろその患者本人の視点が中心となっているところだ。
本作は、大部分が、同じような室内で(実はこれも仕掛けがある)、主人公であるアンソニー(アンソニー・ホプキンス)と娘アン(オリビア・コールマン)プラス数人の会話でできている。ごく普通に交わされる、認知症の老人と対処に困っている娘との会話で始まるのだが、その時間軸はやがて前後し、同じ場面と思ったものが同じ場面ではなく、人物さえも変わっていき、映画が進むにつれて観ている方も混乱してくるのだ。そういう作り方だという予備知識を持っていても、例えば服の色や壁の絵などを手掛かりにして、なんとか話をつなぎ直そうとしても、ひとつながりの時間を見つけるのが難しい。
若年性の認知症を扱った「明日の記憶」でも、記憶がなくなっていく当人の恐怖がリアルに描かれていたけれど、本作では、さらに、認知の混乱というものを体感させられる。混沌とした中での真実はどこだったのかと考える時間はミステリー作品のようで、その推理を放棄せざるをえなくなった瞬間からは、すっかり製作者の術中にはまり、私たちは、認知症である当人の苦しみ、困惑、恐怖を自分のこととして体験することになるのだ。
ある意味での「どんでん返し」ともいえるラストは、何よりも切なさが先立つけれど・・・
作品中繰り返し流れるビゼーのオペラ「真珠とり」のアリア「耳に残るは君の歌声」、昔を懐かしむこの切ない歌がしばらく耳から離れませんでしした。
本作は、今年度のアメリカのアカデミー賞主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)を受賞している。チャドウィック・ボーズマンが受賞するだろうという大方の予想を覆しての受賞だが、本作でのアンソニー・ホプキンスの演技~チャーミングでエレガントな紳士がみるみるうちに癇癪を起し、傲慢な老人が次の瞬間に哀れで孤独な様相を示し、また幼子のようにもなるというこの演技力を見れば納得できる。
2021年5月16日鑑賞 by K.T