映画鑑賞記「鈴木家の嘘」

公開日 2018年12月22日

鈴木家の嘘

監督・脚本:野尻克己
製作年:2018年
製作国:日本
上映時間:133分
 
家族の「ひきこもり」と「自死」。
本質的には、とても重い内容の作品だ。
この作品の素晴らしさの一つは、その中に「笑い」を取り入れたところにある。
重い内容を重く描いたものはよくあるけれど、そこに笑いの要素を上手に入れた作品にはなかなか出会えない。
だからこそ、より一層心に響くのだ。
 

長く部屋に引きこもっていた鈴木家の長男・浩一はある日自室で命を絶ってしまう。これが冒頭の場面だ。
それを目にした母親はショックで気を失い、意識は浩一の四十九日まで戻らない。もうこのままか、と家族が諦めかけた時に母は目を覚ますが、浩一の死の記憶が抜けていた。
妹の富美は母のショックを考えてとっさに「お兄ちゃんはひきこもりをやめてアルゼンチンに行った」と嘘をつく。ここから、浩一は生きていると母に思わせるために、家族皆が奮闘することになる。
その嘘はいつまで続くのか・・・

家族のひきこもり、家族の自死、両方とも、表現も内容も、軽々しく扱うことはできない難しいテーマだ。
浩一の苦悩について、残された家族の喪失について、どう表現しているのか鑑賞前は気になっていたのだが、表面的ではない、説得力のあるものだった。
実は、これは監督(脚本も)の体験だと知ったのは鑑賞後で、ああ、だからなのだ、と納得した。そうでないと描けないことが確かにあった。

内閣府の調査では、「ひきこもり」とされる人が2015年現在で50万人いるらしい。
「ひきこもり」と一言でくくるのはあまりにも乱暴で、その理由は百人百様であろうし、そこから抜け出ようにも出られないつらさを抱えているに違いない。
他人のよかれと思っているアドバイスはもちろん(実はこれは一番迷惑)、本当に愛している家族の言葉ですら届かない。
そして、言葉も気持ちも伝わらないと感じる家族もつらい。

「おれはまだ大丈夫、まだ大丈夫」と言い続ける浩一の姿と、なすすべもなく見つめる父親の姿が忘れられない。

自死という選択をせざるを得なかった浩一はもちろん抱えきれない苦悩があったのだろうけど、遺されてしまった家族は・・・・

アメリカの精神科医による「喪失の五段階」というものがある。

第1段階は「否認」、第2段階 「怒り」、第3段階 「取引」、第4段階 「抑うつ」、この段階を行きつ戻りつして、やがて 「受容」に至ると言われている(ただし、この「受容」は、「納得」というようなものではなく「喪失に向き合うことができる」「心から悲しむことができるようになる」というものである)
監督はあえてこの段階を想起させるようにしたのか、母による浩一の死の否認、富美の怒り、父の、ある種の取引・・・・やがて最後に、この家族は受容に向かって歩き出すように見える。その姿にすこしホッとする
 
いろいろな問題を考えさせられるのだが、この作品を一言で言うなら、家族の再生の物語だ。
今年の邦画では「万引き家族」という家族について考えさせられる作品があったが、本作も家族について考えるいい機会をくれると思う。
 
そして、先にも述べたけれど、この中に「笑い」の要素が入っているところが絶妙なのだ。配役もパーフェクト。これ以外に考えられないというぐらいのはまり役だと思う。
紹介するのが遅くなり、封切り館での上映は終了しているようだけれど、身近でないようで身近なこの物語をこの機会に多くの方に観てほしいと思う。
 
2018.11.25鑑賞 byK.T

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