映画鑑賞記「バジュランギおじさんと、小さな迷子」

公開日 2019年02月01日

バジュランギおじさんと、小さな迷子

監督:カビール・カーン
原題:Bajrangi Bhaijaan
製作年:2015年
製作国:インド
上映時間:159分
 
バジュランギとは、ヒンドゥーのハヌマーン神(バジュラング)信者を意味するらしい。一途な「バジュランギ」であるパワンは、勉強も何もかも全くダメだが、とにかく信心深く、誠実で正直で純粋な人間だ。 そのパワンがラーマ神とハヌマーン神の祭りの中で、親とはぐれた少女と出会う。少女は口がきけず、字もわからない。 心優しいパワンはその少女の親を探そうとするが、やがて彼女が、インドとは宗教的、外交的に複雑な関係にあるパキスタン人だということがわかる。 パワンはその大きな問題を顧みず、一人で少女を親元まで届けようとする。
 
インドとパキスタンの関係は難しい。
1947年、独立運動を経て、イギリス領インド帝国はヒンドゥー教徒中心のインド連邦とモスリムのパキスタンとの分離独立を果たす。分離独立は、インドとパキスタンの対立を招き、多くの悲劇を産み、現在も問題は解決しているとは言い難い。迷子の少女シャヒーダーの家があるカシミール地方は、第一次印パ戦争の引き金となった土地だ。
 
そういった背景のある中で、このような作品がインドで作られ、大ヒットしたというのは、人と人はわかりあえるという希望に満ちたメッセージだ。
 
主人公のパワンは、本当に純朴で一途なバジュランギで、前半はその頑固ともいえる宗教心がたっぷりとしたユーモアとともに示される。
 
彼にとって、ムスリムは相容れない人間なのだと描かれたあとで、シャヒーダーがムスリムとわかる。その葛藤たるや!そして葛藤しつつも結局人を思いやる心が勝つのだ。
 
長い困難な旅の途中途中、自分の信仰を守りつつ、でも、様々な人と出会う中で、パワンの宗教的な頑なさが徐々になくなっていく。そのパワンの変化を見るにつけ、私たちがもつ、偏見や固定観念は、人とのふれあいの中で変化させていけるもの、いくべきものだと思わせられる。
 
ネットの力をプラスに変えて、私たちは国境を越えてつながれる。そのラストは感動的だ。わかってはいても、その演出はちょっとやりすぎじゃない?と思っても、やっぱり涙せずにはいられない。
 
150分はちょっと長いけれど、インド映画は踊りと歌がね~と思われがちだけど、でも広大なインドの大地をパワンとともに旅する体験はそれだけの価値があると思う。
 
2019年1月21日鑑賞 by K.T